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October 13, 2008

平成20年10月11日(土)熊野古道中辺路(第1日目)紀伊田辺駅→滝尻王子胎内くぐり→不寝王子→剣ノ山経塚跡→展望台→高原熊野神社→高原霧の里休憩所→庚申さん→高原池→大門王子→十丈王子 →小判地蔵→悪四郎屋敷跡→上多和茶屋跡→大坂本王子→牛馬童子像→近露の里

紀伊田辺駅(9:58)→紀伊田辺駅(11:15)→滝尻王子(12:10)胎内くぐり(12:27)→不寝王子(12:33)→剣ノ山経塚跡(12:53)→展望台(13:06)→高原熊野神社(14:01)→高原霧の里休憩所(14:15)→庚申さん(14:31)→一里塚跡(14:40)高原池(14:53)→大門王子(15:00)→十丈王子 (15:31)→小判地蔵(15:38)→悪四郎屋敷跡(15:42)→上多和茶屋跡 (16:11)→大坂本王子 (16:45)→道の駅 熊野古道中辺路(牛馬童子ふれあいパーキング)→一里塚跡(17:12)→牛馬童子像(17:16)→近露の里(17:39)→宿「なかの」(18:00)

<<詳細>>
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紀伊田辺駅(9:58)→新大阪駅を8:32発のくろしお3号に乗って130分でJR紀伊田辺駅に10:43に到着しました。既に1時間前に来ていたIさんとTさんと駅で落ち合うことができました。お二人は既に11:25発の竜神バスの件を購入していたのですが、払い戻しをして10分早いJRのバスに3人で乗りました。→紀伊田辺駅(バス11:15発)Pa110009
→車中は結構空いていて登山客らしき人たちが我々含めて5、6人程度でした。我々が今日の宿「なかの」の話をしていると、後ろの座席の人が話しかけてきて、自分も同じ宿に今晩は泊まるのだと。へぇ、世の中狭いなと感じて。車窓からはだんだんと山の景色が濃くなってきて登っていきます。富田川沿いの国道311号線を走りどんPa110010
どんと高度を稼いで熊野古道の入口らしき感じがしてくるようです。約40分ほどで滝尻王子のバス停に到着しました。このバス停を降りて、国道の反対に横断しそこに架かっている橋をまたいだところが滝尻王子です。→滝尻王子(12:10)→滝尻王子には土産店があり、同行者のIさんは笠を、Tさんは竹の杖を購入しいよいよスタートでPa110016
す。なお、ここ滝尻王子は、「熊野九十九王子のうちで最も重要視された王子の一つで、社格の高い五体王子であった。川の合流点にあたり、古道は背後の剣ノ山へ登るが、ここが熊野の霊域の入り口とされていた。参詣者は川でみそぎをし、社前で経供養や里神楽が行われ、後鳥羽上皇は和歌会を開いた。正治2年(1200年)の際Pa110018
の熊野懐紙11葉は分散して現存する。神宝の黒漆小太刀は国指定の重要文化財」とのことです。→結構、きつい登りです。道は狭く石畳のような所があり早朝は雨が降っていたので滑りやすくなっており注意して登ります。10分も歩いて後ろを振り返るとバス停の道が眼下に垣間見え、一挙に高度が上がったことが確認でき、汗が吹Pa110020
き出してきます。途中に胎内くぐりの案内標識が出ていたので、確認します。ここは大きな岩が有り、隙間があります。この隙間を這うようにくぐりぬけると安産祈願になるそうで、狭いのでデイパックを背から外して体前に持ち直して隙間に入りどこまで行けるか試したのですが、とても私の体は通り抜けられないことが分かり途中で引き返Pa110022
しました。直ぐ先に出口は見えるのですが、小柄でないと抜けることはできないと思います。

胎内くぐり(12:27)→次に直ぐに乳岩があります。この岩からしたたり落ちる乳で生まれたばかりの子どもを守ったという伝説が残る岩です。そして不寝王子があります。ここ不寝王子は、「滝尻王子から背後の剣ノ山の坂道をPa110038
400メートルほど登ったところに、不寝(ネズ)王子の跡だとされる場所がある。秀衡伝説で知られる乳岩の少し上方にあたる。不寝王子の名称は古い記録に見えず、九十九王子のうちに入ることもないが、元禄年間の「紀南郷導記」に、ネジ王子という小社の跡があると記されている。」とのことです。→不寝王子(12:33)→ここから20分ほPa110046
どは登りの続きです。イントロから結構しんどいのですが、まだスタートしたばっかりなのでパワーもあり登ります。木立の中で少し平らなところがあり、石が積まれていた所があり案内板を見ると剣ノ山経塚跡とのことです。→剣ノ山経塚跡(12:53)→剣の山経塚跡からは平坦な道になり、道が太く日差しが当たって快適です。13分で展望台Pa110047
に到着です。→展望台(13:06)→青空の下に山並みが一望に見渡せとてもすがすがしい気持ちで一杯になります。眼下には川沿いに集落や小学校?か何かのグランドも確認できて名前の通り展望台です。この後は階段の下りや石畳の下り道です。そして15分ほどで高原への車道に出て、また、すぐ標識が出ている向かいの古道にPa110048
渡ります。途中から急な木の階段の上り坂があり登っていくと、集落に出てきます。
民家などがあり、木工を製造しているお店とかもあり無人で陳列しているので少しだけ寄ってきました。自然の木の形を利用して、メガネ立てやペンケース、花瓶などが値段付けられて並んでいました。どれも良いものです。ここPa110050
からは高原熊野神社まではゆるやかな下りです。車道に標識があり、右手の道を少し歩いていくと、高原熊野神社に到着です。幟が2つ飾ってあり風になびいて勇壮です。ここ高原熊野神社は、「高原地区の氏神で、高原王子と言われることもあった。神社に伝わる懸仏(かけぼとけ)の裏面には、応永10年(1403)と明記して、若王子Pa110052
(にゃくおうじ)を熊野から歓請したことがしるされている。社殿は春日造りで、室町時代の様式を伝え、熊野街道では最も古い神社建造物である(県指定文化財)。境内にはクスノキの大木がある」とのことです。→高原熊野神社(14:01)→ここで休憩+参拝です。このあと少しくだったところに、
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高原霧の里休憩所があります。→高原霧の里休憩所(14:15)→ここには駐車場と休憩所があり、特に駐車場の前面からは目の前を遮るものは何もなく山々が一望できます。
ここから見る山々は果無山脈であり、山の向こうに山山山と字のごとく果無です。この高原は「霧の里」とも呼ばPa110062
れ、特に早朝は霧が美しいそうです。今回は午後2時ですが、晴れて視界が良くとてもすばらしいパノラマが開けます。眼下にはちょうど稲刈りが終わったばかりで、稲穂が「はざがけ」になっており、コスモスも今が盛りと色を競っていました。ここで3人は昼食です。朝買ったおにぎりとかをほおばり、私は早朝に家族が作ってくれたおにぎPa110074
り2個を食べました。当初のスケジュールと比較すると40分くらい遅れているのに気づきました。このままでは近露の宿には6時過ぎとなって夜道となる可能性があったので、タイムアップを図ることにしました。→このあとは標識に従っていき、民家の間を登っていきますが、とても勾配が急な石畳などがあります。途中の民家はとても小綺Pa110077
麗に管理されており、芝生が敷き詰められ庭からは山々が一望です。しばらく行くと、庚申さんを納めた祠があります。→庚申さん(14:31)→10分ほどで一里塚跡があり休憩スペースがこしらえてあります。→一里塚跡(14:40)→しばらく行くと道の右側に高原池があります→高原池(14:53)→次に、階段の上り坂などがあり、大門王子に出Pa110078
会います。赤い木の祠が柵に囲まれており綺麗に整備されています。大門王子は、「山中の要地で、大きな鳥居があったとみられるし、いまも新社殿の奥に、大門王子の碑と並んで、鎌倉時代のものとされる石造の笠塔婆がある。平安時代からの休息地「水飲」もこの付近であった。ただ、大門王子の名は古い参詣記などには見えず、Pa110085
設置の新しい王子であり、一方、江戸中期にはすでに社がなく、緑泥片岩の碑が建てられた。」とのことである。→大門王子(15:00)→引き続き、登りと下りと登りが続きまして、十丈王子があります。十丈王子は、十丈峠の杉林のなかの道の左にあり、石碑と石塚の王子跡があります。ここは、「江戸時代には付近に数戸の家があり、Pa110090
氏神として祀られていたが、明治末期の神社合祀で廃社になった。いまは十丈は無人の山中になっている。ここの地名は中右記に重點とあり、後鳥羽院御幸記など中世の参詣記でも、王子名がやはり重點となっている。これが近世以降は十丈とかわるが、そのいきさつは分からない。」とされている。十丈王子 (15:31)→地蔵さんがありPa110091
ます。掲示板には嘉永7年7月18日に飢えと疲労のために小判をくわえて亡くなった巡礼を弔ってまつられたものとされています。豊後国有馬郡の人で、伊勢、熊野詣を済ませ紀三井寺に向かう途中で亡なり、その死を哀れんでこの地の愛洲氏が主になって地蔵を建てたと掲示板に記されていました。→小判地蔵(15:38)→地蔵を過ぎると悪四郎屋敷跡の標識があります。悪四郎は伝説上の人物で、力が強く、頓智にたけていたといわれる。悪四郎Pa120092
の「悪」は、悪者のことではなく、勇猛で強いという意味である。江戸時代の「熊野道中記」の一書に十丈の項に「昔十丈四郎と云者住みし処なり」とあり、それがここだと見られているとのことです。右手の背後の山が悪四郎山(782m)で、標識がありここから約三十分とのことで、山頂に行きたかったのですが、往復の所要時間を考えると、宿に着く前に山の中で暗くなってしまうので断念しました。→悪四郎屋敷跡(15:42)→この跡は少し下り坂で、道は広く歩きやすいです。その後つづら折れの急な上り坂となり、上多和茶屋跡に出ます。標識には、「この山上は上田和と呼び標高六百余。熊野詣の盛んな頃はここに茶屋もあったといわれ大正期にも人家があって林中には三界万霊塔やお墓もある。またこの山上には霜月二十三日の夜になれば、東方はるかに三体の月が現れるとて、ここにあったしめ掛け松のもとに大勢集まり栗や黍の餅を供え、心経をくり月の出を待ったという。三体月は熊野権現垂迹の伝承の中にも見られる。→上多和茶屋跡 (16:11)→この後は下りとなり、途中、三体月伝説説明板があります。説明板には、今は昔、熊野三山を巡って野中近露の里に姿を見せた一人の修験者が、里人に「わしは十一月二十三日の月の出たとき、高尾山の頂きで神変不可思議の法力を得た。村の衆も毎年その日時に高尾山に登って月の出を拝むがよい。月は三体現れる。」 半信半疑で村の庄屋を中心に若衆連が、陰暦十一月二十三日の夜 高尾山に登って、月の出を待った。やがて、時刻は到来、東伊勢路の方から一体の月が顔をのぞかせ、アッというまにその左右に二体の月が出た。三体月の伝説は上多和、悪四郎山槇山にもある、とのことです。林道交差点を過ぎ、坂尻の谷(石屑の坂道)があり、ここは幅の狭い下り坂で足下が濡れていると滑りやすいところです。大坂本王子です。この王子は、逢坂峠の東側のふもと坂尻の谷のそばに王子跡があり、いまは杉林の中です。明治以降峠の坂道が少し変わったため、峠からは多少回り道になった。王子跡には石造の笠塔婆がみられる。後鳥羽院御幸記に、大坂本王子に参るとある。逢坂峠は古くは大坂といわれ、為房喞の永保元年(1081)の参詣記では、深夜大坂の草庵で猿の鳴き声を聞いているとされている。→大坂本王子 (16:45)→この後は道の駅の牛馬童子ふれあいパーキングを右眼下に見下ろして進みます。→一里塚跡(17:12)→木立の中にはいると、そろそろ光が弱くなっているので周りが暗くなってきた感じです。そしたら、箸折(はしおり)峠の牛馬童子の像と出会いました。少し小高くなっているところで道から数㍍
登ります。案内板には、箸折峠のこの丘は、花山(かざん)法王が御経を埋めた処と伝えられ、またお食事の際カヤの軸を折って箸にしたので、ここが箸折峠、カヤの軸の赤い部分に露がつたうのを見て、「これは血か露か」と尋ねられたので、この土地が近露という地名になったという。ここの宝筺印塔は鎌倉時代のものと推定され、県指定の文化財である。石仏の牛馬童子は、花山法王の旅姿だというようなことも言われ、その珍しいかたちと可憐な顔立ちで、近年有名になった。そばの石仏は役ノ行者像であると、記されています。→牛馬童子像(17:16)→数分歩くと休憩所がありました。視界が開けて眼下に近露の集落が一望できます。日置川が左から右に流れていて川向こうに人家が確認できます。あともう少しで宿に着くことが実感でき一安心。山の中で暗くなったら大変だと内心心配していたのですがやれやれでした。車道に出ました。→近露の里(17:39)→さてここから宿への道が今ひとつ分かりません。近露の里は川向こうなので北野橋を渡ればいいのですが、今日の民宿「なかの」は川を渡らず南下するとの地図情報なのでひたすら車道を歩きます。国道311線を渡ったところの集落にお宿はありました。→宿「なかの」(18:00)→晩御飯は、囲炉裏で焼いていた鮎の塩焼き、アマゴの唐揚げ、刺身等でした。

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