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November 12, 2008

平成20年10月12日(日)熊野古道中辺路(第2日目)近露王子→小広王子→熊瀬川王子→→わらじ峠→仲人茶屋跡→岩神王子跡前→「おぎん地蔵」→湯川王子跡→三越峠→船玉神社→猪鼻王子→発心門王子→水呑王子→伏拝王子→祓所王子→熊野本宮大社→大斎原→大日越→月見ヶ丘神社→鼻欠地蔵→湯峯王子→湯の峰温泉

近露王子(7:34)→小広王子(7:38)→熊瀬川王子(8:12)→一里塚跡(8:17)→わらじ峠(8:24)→仲人茶屋跡(8:39)→岩神王子跡前(9:05)→おぎん地蔵(9:33)→「蛇形地蔵」→湯川王子跡 (9:55)→三越峠(10:15)→船玉神社(11:06)→猪鼻王子(11:16)→発心門王子(11:30)→水呑王子(12:07)→伏拝王子(12:52)→祓所王子(13:44)→熊野本宮大社(13:56)→大斎原の大鳥居(14:19)→大日越登り口(15:12)→月見ヶ丘神社(15:32)→鼻欠地蔵(15:46)→湯峯王子(16:11)→湯の峰温泉「くらや」(16:24)

《詳細》
Pa120099
なかの(7:10)→民宿を出てバス停に向かいます。今日は晴れの天気でさわやかです。バスが7時25分のバスに乗り小広王子まで行くことにしています。そこまでは途中に、野長瀬一族の墓、比曽原王子、継桜王子、中川王子とあるのですが、本宮に2時くらいに到着したいことと車道が多いので避けまして、古道らしさが始まる小広Pa120102
王子までバスにしました。近露王子でバスは一度5分くらいの休憩がありその間に急いで王子にお参りしました。近露王子は、最も早く現れた王子の一つで、鎌倉末期の熊野縁起では准五体王子にあがっている。参詣者は古くから川でみそぎをするのが習いであった。後鳥羽上皇はここでも和歌会を催している。境内に杉の巨木があったPa120103
が、明治末期の神社合祀で廃社になり、いまは近露王子之跡と刻んだ自然石の碑が見られる。院政期の御所は川を隔てた対岸の方にあったとのことです。→近露王子(7:34)→細い車道をグイグイとバスは上っていきます。距離と共に、高度も結構稼いでくれます。小広で下車してさて、どこから古道に繋がるか皆目見当が付きません。しPa120107
ばらくしてアクセスの道を見つけて上っていきます。→小広王子(7:38)→この道は小広トンネルの出口付近を高巻きしており、その後古道を発見です。左は近露に、右は熊瀬川王子となっており、右へ行きます。 熊瀬川王子は、小広峠を下ってわらじ峠に上りにかかって間もなく、道の左側に熊瀬川王子の跡といわれる場所がある。鎌Pa120110
倉末期の熊野縁起に出ている熊背川王子はここかとみられるが小広峠とする説もあるとのことです。
→熊瀬川王子(8:12)→途中に一里塚の標識があります。→一里塚跡(8:17)→草鞋峠まではつづら折れの急な上り坂が出てきます。→わらじ峠(8:24)→この峠からは下りで女坂と呼ばれるつづら折れの下り坂です。川のそばPa120112
に仲人茶屋跡の標識があります。→仲人茶屋跡(8:39)→茶屋跡から先は逆の上り坂で男坂と呼ばれているところです。従って茶屋の左右で女坂、男坂があることからその真ん中にあるために仲人茶屋と江戸時代から言われていたとのことです。岩神王子は、わらじ峠を下って栃ノ川を渡り、険しい坂を上ったら岩神峠で、峠のすぐそばにPa120117
王子跡がある。比較的早く設けられた王子で、中右記の天仁2年(1109)の参詣記で、藤原宗忠は夜の白むころこの王子に参り、社辺にいた盲人に食料を与えたと記している。江戸中期まで社殿があったが、その後草木に埋もれていた。近年ようやく、その所在が明らかになったとのことである。→岩神王子跡前(9:05)→ここからは下りPa120120
で途中からは谷川に沿って進みます。このあたりから俄然、Iさんが頑張ってスピードを上げて先に進んでいきます。途中には祠があり地蔵さんがまつられていました。→「おぎん地蔵」(9:33)→湯川王子の手前に「蛇形地蔵」があるとの標識があったのですが時間が気になったので寄り道しませんでした。湯川王子は、九十九王子のうちPa120121
比較的格式の高い准五体王子で、道湯川の氏神として祀られてきた。しかし、明治末期に強引に近野神社に合祀され、更にこの地は昭和30年代から無人になったが、近年土地の出身者らによって小社殿が再建された。ここは参詣道の要地で院政期には上皇や貴族もしばしば宿泊や休憩をし、谷川でみそぎをおこなったとのことです。トPa120122
イレがありました。→湯川王子跡(9:55)→ここからだんだんと急になっていきます。20分ほどひたすら登ると峠に出ました。峠には舗装された林道があり明るい日差しに包まれていました。休憩所、トイレ完備で何組かのハイカーが休息していました。→三越峠(10:15)→峠からは下り道です。杉林の小道、石畳の道となります。そして途中Pa120126
からは音無川沿いの平坦な道を進んでいきます。約1時間ほどで船玉神社がありました。その少し手前には熊野古道の赤城越えという道が右に分かれており、川に架かっている赤い橋を越えていくことになり、今晩の宿がある湯の峰温泉に続く道です。船玉神社では、船の神様をお祀りしてあります。また、右側には玉姫稲荷が祀られてPa120132
ありました→船玉神社(11:06)→途中で1人の若い女性がIさんに何かを尋ねていました。ペットボトルとバッグの軽装の女性で本宮から登ってきており赤城越えの道で湯の峰温泉に行きたいとのこと。地図を示して自分の位置とルートを教えました。大丈夫なのかな1人で歩いてと思いましたのですが、元気ですね。猪鼻王子は、平安時Pa120133
代末期の藤原宗忠の参詣記『中右記』には「三輿の多介(みこしのたけ:三越峠)を越え、次いで谷を下り、谷川を渡ること数度。亥の鼻(いのはな:猪鼻)を過ぎ、ついで発心門に入る」とあり、鎌倉時代初期の『修明門院御幸記』には「湯川王子に参御し、次いで猪鼻王子、次いで発心門王子において御禊あり」とあるとのことです。しかしPa120139
熊野詣が廃れると、この王子も跡地のみとなっていました。

→猪鼻王子(11:16)→やや上り坂の感じで進んでいきます。そして舗装道路に出たところが発心門王子です。バPa120142
ス停もあり何となく本宮に着いた感じになります。この王子は、熊野九十九王子のうち、格別の崇敬を受けた王子の五体王子のひとつです。発心とは発菩提心(はつぼだいしん)、「仏道に入り、仏智を証する志をおこす」という意味の言葉です。中世には、この近くに「発心門」と呼ばれた大鳥居がありました。この大鳥居「発心門」が本宮Pa120149
の聖域の入り口であり、参詣者はこの大鳥居の前で祓いをして、その後、鳥居をくぐり、発心門王子に参ったとのことです。→発心門王子(11:30)→ここからは集落の中などを歩いていきます。ほとんど舗装道路なので所々の標識を確認しながら進みます。この王子は、中世には大門王子(中辺路町高原)付近に「水飲」があったので、そPa120151
れと区別するために「内水飲」と呼ばれてました。おそらくは「発心門の内の水飲」という意味だと思われます。近世以降は「水呑」と呼ばれるようになりました。平安時代末期の藤原宗忠の参詣記『中右記』には「次に内水呑王子に参り奉幣、新王子」とあり、鎌倉時代初期の『修明門院熊野御幸記』には「次に内水呑王子において御小養Pa120153
を儲け、次いで同王子に参御」とあります。しかし熊野詣が廃れると跡地のみとなり、王子跡を後世に伝えるために1723年に紀州藩主徳川宗直が緑泥片岩の碑を寄進しました。後に小学校の分校が建てられ、分校は昭和48年廃校になりました。廃校なのですが、建物は綺麗に管理されていて屋根付きの広場みたいなスペースがありPa120156
ました。ここで昼食をしました。昼食は宿で作っていただいた、竹皮でくるんだおにぎり2個とめはり寿司1個とタクアンです。めはり寿司は南紀・熊野地方の山仕事や農作業で食べる弁当としてはじまったようでおにぎりを高菜で包みこんで作られています。仕事の合間に簡便に食事を済ますため目を見張るほどの大きさだったといわれてPa120157
います。その名称は、目を見張るほどおいしいとのことで、大変美味でした。→水呑王子(12:07)→途中は集落の中も歩き、果無山脈が見えるポイントがあり三里富士という左右対称の綺麗な形の山が望めます。本宮大社まであと1時間ほどというところまで来た伏拝(ふしおがみ)という場所に伏拝王子があり、ここから本宮方面に展望Pa120160
が開きます。ここは中辺路を歩いてきた人が初めて熊野本宮の森(旧社地)を遠望できた場所で、ここから本宮の森を伏し拝んだといわれます。伏拝王子には石祠と和泉式部供養塔と伝わる卒塔婆があります。もともとはそれぞれに別の場所にあったものですが、昭和48年置かれました。ここの休憩所には農協婦人部がコーヒーを入れてPa120162
くれていたので休もうかなと思っていたのですが、Iさんはどんどん自分のペースで先に行ってしまっていたので断念。過ぎようとしていたところ若い男女のペアになにやら詳しく当地の説明をしている男性が居たので、我々も一緒に傍聴することに。少し場所を移動してあそこのところが本宮で、その先の塔が見えるのが那智本宮で一直線Pa120167
であると。その直線の逆方向に高野山といった説明をしていただきました。そして手前の茶畑はご主人の畑であるとか、NHKの朝の連続ドラマ「ほんまもん」のロケ地であったとかの仔細を教えて貰いました。そのロケ舞台の家の右手小高い丘から見る景色は良いとも教えて貰いちょっとだけ寄り道して見ました。でもIさんは1人でどんどPa120169
ん進んでいるので少し心配です。→伏拝王子(12:52)→急ぎIさんを追いかけます。道はもう広くなっています。途中で中年の女性数人のグループが登ってきており、その中の1人の女性が「先ほど、短パンをはいた男性から伝言を言付かった。二人組の男性に会ったら、先で待っていると伝えて欲しい」とのことでした。途中、IさんはいろんPa120170
なグループから短パンのおじさんで有名になりつつあり、人見知りしないタイプで良い性格です。程なく、祓所王子の手前に休憩所と飲み物を売っているおばさんの所に彼は居て我々と合流です。たまたま居た男の外人さんに彼は気安くカタカナ英語でしゃべっていました。なんだか一方通行のようでしたが。前で、ボランティアのおじさPa120172
んが、我々一行にインタビューです。熊野古道を歩いての感想で何処か改善すべき点はあるかと。標識が多く分かりやすいが、要望として本宮まであと何キロとかの紹介があったらいいかも知れないと伝えました。→祓所王子(13:44)→この王子の直ぐ近くに大社の北口の鳥居があります。着きました。昨日の滝尻王子から約12時間かPa120173
かりました。感動です!!→熊野本宮大社鳥居(13:53)→神門をくぐると、檜皮葺きの古色蒼然とした社殿が向かって左から第一殿・第二殿の相殿(あいどの)、第三殿、第四殿と3棟並んでいます。神門の先、中央にあるのが第三殿で本社です。主神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ。家都御子大神(けつみこのおおかみ)とPa120174


もいいます)を祀っています。家都美御子大神という名はのちに付けられたもので、平安初期には熊野坐神(くまのにいますかみ)と呼ばれていました。第一殿・第二殿は相殿のため、第三殿や第四殿より大きく、本社のように見えるかもしれませんが、中央の第三殿が主神を祀っています。第一殿を「西御前(にしのごぜん)」といい、熊野Pa120180
牟須美神(くまのむすみのかみ)と事解之男神(ことさかのおのかみ)を祀っています。第二殿を「中御前(なかのごぜん)」といい、御子速玉之神(みこはやたまのかみ)と伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」を祀っています。家都美御子神・牟須美神・速玉之神の3神を本宮・新宮・那智の熊野三山は共通に祀っていますが、それぞれの主神はPa120182
異なっており、熊野牟須美神は那智の主神で、御子速玉之神は速玉の主神です。向かって右の第四殿は「若宮(わかみや)」といい、天照大神を祀っています。→熊野本宮大社(13:56)→詣でた後に、石段を下りて、大斎原に向かいます。そこは熊野本宮大社がもともとあった場所で、大斎原(おおゆのはら)と呼ばれ、現在は2基の石Pa120183
祠が祀られているのみですが、左手が堤防で田んぼが広がるとても気持ちのよい場所です。本宮大社前のバス停から5分くらいで、旧社地近くに日本一の大鳥居(高さ33.9m、横42m)が建てられています。なお、明治22年8月の水害時まで熊野本宮大社は熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」とPa120187
呼ばれる中洲にありました。
 かつての本宮大社は、およそ1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿が立ち並び、幾棟もの摂末社もあり、楼門がそびえ、神楽殿や能舞台、文庫、宝蔵、社務所、神馬舎などもあり、現在の8倍もの規模を誇っていたそうでPa120191
す。→大斎原の大鳥居(14:19)→この大鳥居を見た後、連れの2人は今日帰宅するので、バス停に行きました。1時間弱待ち時間があり、私は名残を惜しんだ後、1人で今日の宿がある湯の峰温泉を目指します。途中の酒屋で今晩のアルコールを補充します。ここから大日越ルートで約一時間半くらいで着く計算なのですが、知らない道Pa120194
を1人となるとやや緊張です。もし道間違えたら夜になって真っ暗ですので慎重に登り口を探します。やや途惑いつつも、登り口を発見し、プレートを念入りに確認です。私の前に2人の老夫婦が登っていったのを確認していたので少し安心しつつ確認で。そしたら後ろから女性が1人でまた登っていきました。→大日越登り口(15:12)→地Pa120196
図ではそれほどの登りではないと思ったのですが、昨日からの疲労も手伝い大変な登り道です。汗が噴き出してきます。こんな登りは今日はあまり体験していなかったのでつらい感じです。途中で道は杉林の中に横木や石で階段が造られており趣のある古道です。老夫婦を追い越しますが、山の中は結構暗くなっています。20分ほどでPa120198
神社らしきところに出ました。少し平たいところがあり祠があります。案内板は確認できなかったのですが、月見ヶ丘神社です。月見丘神社のお堂の中に大日如来が祀ってあって、大日越の由来だそうです。→月見ヶ丘神社(15:32)→ここからも引き続きの登りです。頂上はまだかとの思いですが、なかなか登りが終わりません。→頂上Pa120203
を越えて程なく道の右手に大きな岩とその岩に根が絡ままった木がありました。案内板があり、これが鼻欠地蔵とありました。→鼻欠地蔵(15:46)→ここを過ぎると岩の切り通しの道もあったりします。先ほどの女性を抜き、下りに入ります。疲れた足には下りも大変な苦労で体を横にしながらカニのようになって下って行きます。20分位すPa120204
ぎて、町の喧噪が少し聞こえてきたので一安心。程なく、温泉街の裏の平地に出ました。そこでは若い男女2人がコーヒーを沸かしていました。声をお互いにかけ、健闘を称え合い、少しおしゃべりをしたのですが、今晩のお宿は同じとのこと、奇遇が続きます。その後に湯峯王子に行きます。この王子は赤いお社を持つ王子で、ここでしばPa120207
らく休憩しているとさっきの女性が追いついてきました。この女性とも健闘を称え合いました。→湯峯王子(16:11)→温泉に到着です。有ります、あります、「つぼ湯」、「湯筒」、「東光寺」等々有りました。そしてお宿に着きました。→湯の峰温泉「くらや」(16:24)
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編集後記:くらやさんには温泉がありました。つぼ湯と同じで川のそばにあり、硫黄の臭いが大変強いお湯です。脱衣場とお風呂にひとつ照明が有るだけで明るくないのですが、風情のあるお風呂でした。明日は早起きして公衆浴場の温泉と湯筒でゆで卵作りを楽しむこととしました。今日の晩御飯は、鮎の塩焼き、鹿の刺身等々でした。Pa120218
ビール1本とともにお腹にしみる一日の締めくくりでした。部屋は小さいのですが1人部屋なので、とても気が休まり窓を開けると川と温泉街が一望でき風情がありました。
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